消える木陰「緑を残し、育てる建築」を考える

いつの間にか、東京から「木陰」が消えています。
建物をつくることと、緑を残すこと。この二つは、両立できないのでしょうか。
この記事では、都市の緑が減っている現状と、シンガポールやミラノの取り組みを手がかりに、建築と外構を一体で考える「緑を残し、育てる建築」について考えます。
目次
木陰を「建築の一部」として考えてみる
猛暑が当たり前になりつつある東京で、建築や外構は緑とどう向き合えばよいのでしょうか。
今年5月、日本経済新聞の「消える木陰、世界と逆行」という記事が目に留まりました。
紹介されていた研究を調べると、東京23区の樹冠被覆率(上空から地面を見たときに、樹木の枝や葉が地面を覆っている面積の割合)は、2013年の9.2%から2022年には7.3%に下がっていました。
衛星画像を使ったこの研究では、戸建住宅の開発や都市再開発、公園・街路・教育文化施設での樹木の伐採が、主な原因とされています。
正直、この数字は少し意外でした。東京で暮らしていても、この10年で木が減ったという実感はあまりなかったからです。
ただ、考えてみれば当然かもしれません。大きな木が、ある日いっぺんに街から消えるわけではないのです。
住宅の建替えで庭木が一本なくなる。道路整備で街路樹が数本なくなる。施設の建替えで、長年育った木が切られる。
一つひとつは小さな変化でも、都市全体で積み重なれば大きな変化になります。
建築に携わる者として、これは他人事ではないと感じました。
木陰は、都市の中の小さな建築と言えるのかもしれません。

建物を冷やしながら、街を暑くしていないだろうか
建物を設計するとき、私たちは断熱性能を考え、庇を設け、日射を遮って、空調の負荷を減らそうとします。
ところが敷地の外に目を向けると、夏の日差しを遮っていた大きな木がなくなり、道路や広場は舗装されて、直射日光にさらされている場所が少なくありません。
そうして暑くなった街の中で、建物は空調によってさらに冷やされています。
建物単体では省エネを進めながら、周囲では日陰をつくる木を減らしてしまう。どこか矛盾していると感じます。
図面の上では、何十年も育った大きな木が「既存樹木撤去」の一言で片づいてしまうこともあります。
けれど、その木がつくっていた木陰を若木が取り戻すには、長い時間がかかります。
計画のはじめに「この木は工事の邪魔だから撤去する」と考えるのではなく、「この木を残したまま建てられないか」と考えてみる。
これからの設計には、そんな視点も必要だと思います。

「管理しやすい場所」と「心地よい場所」
もちろん、樹木を維持するにはコストがかかります。
落ち葉の掃除、剪定、根が地表に露出する根上がりへの対応、倒木のリスク、建物や設備との干渉など、大きな木ほど手間がかかります。
建築でも同じです。
庇をなくせば工事費は下がり、植栽を減らせば維持管理費も減り、舗装を増やせば管理はしやすくなります。
どれも合理的な判断です。
しかし、その合理性を積み重ねた先に、人が心地よいと感じる場所ができるとは限りません。
「管理しやすい場所」と「心地よい場所」は、必ずしも同じではないのです。
外構を考えるときに、大切にしたい視点だと思っています。

なぜシンガポールは、これほど緑を大切にするのか
海外に目を向けると、都市の発展と緑を対立するものとして考えず、むしろ一緒に育ててきた都市があります。
その代表的な一つがシンガポールです。
シンガポールが本格的な緑化に取り組み始めたのは1960年代。急速な都市化が進むなか、コンクリートに覆われた街を緑によって和らげ、暮らす人にとって快適な環境をつくることが目的でした。
しかし、それだけではありません。
「清潔で緑豊かな都市」であることが、海外から人や企業、投資を呼び込む国の競争力にもなる。
そんな考えから、緑化を都市づくりの重要な政策として60年以上にわたり続けてきました。
現在では、緑は景観のためだけではなく、都市の暑さを和らげ、人々が快適に暮らすためのインフラとして位置づけられています。
そして興味深いのは、都市が高密度化して土地が足りなくなると、緑を減らすのではなく、屋上や建物の中にまで緑を取り戻そうとしたことです。
一方、東京23区では、2013年から2022年までの9年間で樹冠被覆率が9.2%から7.3%へ低下しています。
都市が発展しても緑を減らさない仕組みをつくってきたシンガポールと、都市の更新とともに少しずつ木陰を失っている東京。
この違いは、単に「緑が多い、少ない」という話ではなく、都市の中で緑をどのような存在として考えるか、その発想の違いなのかもしれません。
建物を建てたあと、余った場所に木を植えるのか。
それとも、建物と緑を最初から一緒に考えるのか。
シンガポールの取り組みには、これからの日本の建築や外構デザインを考えるヒントがあるように思います。

建築そのものが森になる ミラノの「垂直の森」
もう一つ、建築と緑の関係を象徴する事例が、イタリア・ミラノの「Bosco Verticale(ボスコ・ヴェルティカーレ)」です。
イタリア語で「Bosco」は森、「Verticale」は垂直。その名の通り「垂直の森」です。
2014年に完成した二棟の住宅タワーには、約800本の樹木、4,500本の低木、約2万本の植物が配置されています。樹木が育成するのに合わせて完成まで5年かかったそうです。
注目したいのは、建物を先につくってからバルコニーに植物を置いたわけではない、という点です。
将来の樹木の成長を見越して、その枝葉を受け止められるようにバルコニーの位置や形が設計されています。
植物の種類も、ファサードの向きや日当たりを考えて選ばれています。
つまり、建築と緑を最初から一つのものとして設計しているのです。
もちろん、東京の建物をすべて「垂直の森」にすればよいという話ではありません。
大規模な植栽には、構造荷重、防水、灌水、強風、剪定、維持管理など、解決すべき課題が数多くあります。
大切なのは見た目を真似ることではなく、緑を建築の付属物ではなく、建築を構成する要素として考える姿勢だと思います。

保育園を設計していて感じる「一本の木」の価値
こうした考え方は、大規模な再開発や高層建築だけのものではありません。
私たちは保育園やこども園など、子どもたちが過ごす施設の設計にも携わっています。
園庭に大きな木が一本あるだけで、その場所の使われ方は大きく変わります。
夏には木陰ができて、その下が子どもたちの居場所になります。
木漏れ日は時間とともに動き、風が吹けば葉が揺れ、春には芽吹き、秋には葉が赤や黄色に色づきます。
人工の庇だけでは、つくれない環境です。
たとえば、建物の配置を少し調整して既存の樹木を残す。
落葉樹と庇を組み合わせて、夏は日射を遮り、冬は日差しを室内に取り込む。
木の下にベンチを置いて、自然と人が集まる場所にする。
こうしたことも、建築設計や外構デザインの大切な役割だと考えています。
外構は「建物の残り」をデザインするものではない
外構というと、建物の設計が終わったあとに、門扉やフェンス、舗装、植栽を配置して仕上げるものと思われがちです。
でも、本来はそうではないはずです。
建物を敷地のどこに置くか。
どこから人が入り、どこを歩くか。夏の日差しをどこで遮り、冬の日差しをどこから取り込むか。
風はどう抜けるか。
雨水をどう地面に戻すか。
そして10年後、20年後に木が育ったとき、どこに木陰が生まれ、人はどこで過ごしているか。
建築と外構を一体で考えれば、「建物の性能」だけでなく「場所の性能」まで設計できます。
外構は、建物ができたあとの残りの場所を整えることではありません。
建築、光、風、緑、水、そして人の居場所を一緒に考えること。
それも建築設計の一部だと思います。

「何をつくるか」だけでなく「何を残すか」
建築の仕事をしていると、どうしても「何をつくるか」に目が向きます。
しかし、これからは、何をつくるかだけでなく、何を残すか。
それも設計者の重要な仕事になっていくのではないでしょうか。
一本の大きな木を育てるには、何十年という時間が必要です。
建物なら建て替えることができます。
しかし、50年かけて育った木を伐採して、翌年に同じ木陰をつくることはできません。
だからこそ、「緑を植える建築」から、「緑を残し、育てる建築」へ。
猛暑が日常になりつつある都市では、木陰は単なる景観のための装飾ではありません。
日射を遮り、人が歩き、休み、子どもたちが外で過ごすための、一つの都市インフラとして考えてもよいのではないでしょうか。
建築を設計することと、外構を設計すること。
そして、そこにある緑を残し、育てること。
それらを別々に考えないことが、これからの「心地よい場所」をつくる一つの方法なのだと思います。
消える木陰『緑を残し、育てる建築』を考える【まとめ】
大きな木の下にできる木陰には、どこか人をほっとさせる心地よさがあります。
建物をつくるときに、その場所にある緑を少しだけ大切にしてみる。
建築と外構を一緒に考えて、今ある木を残し、新しい緑をゆっくり育てていく。
そんな小さな積み重ねが、10年後、20年後の街の風景をつくっていくのだと思います。
これからも「緑を残し、育てる建築」を考えていきます。

